暑い夏が過ぎ、私はただ″鶴ケ城”を見たくなって阿武隈山地のかなた、会津の里を訪ねた。妻と子供を連れて……。会津六百年の星霜をたどることはもとより、私にとって思い出の土地だからである。
中秋の名月がこうこうと照らす夜、涼味をふくんだ風に、静けさとそう快さを感じながら、父と私は夜が更けるまで人生についてあれこれと語り明かした。二人は一枚の写真に思いをはせた。写真には″鶴ケ城”を背景に家族六人が全員納まっている。哀を見ると、昭和四十四年八月″、二十五年をさかのぼる月日が記されている。
小学生のころの夏休みの思い出である。
浜題りの潅に面した小さな町に育ち、見知らぬ土地を訪ねる新餅な感動を覚えたのがこの時であったような気がする。
″鶴ケ城″は幼心に美しく雄大にそびえ立ち、天奇聞からの素晴らしい眺望には息をのむ鮮烈な印象があった。
また、帰路の途中、立ち寄った猪苗代湖では、美しい磐梯山のすそ野はるか向こうに見える山々に囲まれ、奥深くたたずむ湖水の素晴らしさに何とも言えない安ど感に包まれた。
野口英世の生家では、その生き方に感動し、しばらくその興奮がさめやらなかったことを記憶している。
会津地方との出合いはこの時からである。 .
父は大正生まれで、学較教育に従事し、地域教育の仕事を経て、現在はいわき市の短大において、四年制大学設立に携わっている。
小学生のころ、父は郡山市湖南町の高較へ、そて、福島高専生の時には南郷村の高校へ赴任したことがあった。
私は父が仕事を通して母と一緒に地域の方々と共に生きる姿に、多くの大切なことを学んだ。両親を訪ねては、川でアユ釣りをしたり、スキーをしてよく遊んだ。
また、季節を通して山々を散策した。万葉集に詠まれている、春と秋の七草を探して歩いたこともあった。春のものは食用のものが多く、秋のものは美しく観賞するものだとその時知った。今宵観賞できる秋の七草は、「ハギ」「ススキ」「クズ」「ナデシコ」「オ、、、ナエシ」「キキョウ L 「フジバカマ」だが、「フジバカマ」は会津地方でも浜通りでも見ることはできなかった。花を見て、色や形がいかに美しく、多様なものかと感じたのであった。
湖南町では下宿先の中村足さん、卒業生の佐藤さん、山本さん、南郷村では地域医療で有名な渡部先生に大変お世話になったようであった。
地域の方々とのふれあいは、その後勤めた相馬和の高校でも同様に深かったようで私にとっても生涯、忘れることはない。
ろいろな人とふれあい、あるいは書物から、戦国時代の栄枯盛衰や激動の明治維新を経た会津誌を学んだ。
山々から水が流れ、水とともに生きる季節感あふれる大自然の中で、人々たがいに感砿し合う姿から日本的実意識を感じとったのだった。
私は、父との会話からよみがえってくる当時に思いをはせながら、ある光景を脳裏に措いてみた。月の光に彩られ、詩(あかね)色の稲穂と山々に閉まれた描苗代湖の湖水に会津のが映し出される姿を…。絵心があれば措いてみたいとも思ってみた。
いつの時代も変わらぬ秋の夜長を、父と満喫したひとときであった。幼いころから絶え間ない時間が流れ、家族もそれぞれ健康で新しい家庭をつくり、姿を変えていった。
時代の移りゆくなかで、私にとってのこの家族史は、変わることない絆(きずな) で姉勅それぞれの家庭に受け継がれていくことだろう。父と母がいつまでも健康で、金婿式の慶事には、姉たち家族とみんなで、思い出の会津の土地を訪ね、幼い頃のように一緒に歩いてみたいものだと思う。