民報サロン寄稿文 旅と町民号

 

 

「”町民号“ってなんだい?」。東京から単身赴任された上司に尋ねられた。私のふる里、広野町は火力(火力発電所)の町でもある。転勤配属が故郷へめ U ターンとなり、異動間もなく発電所内の仕事に従事する私に対して、地元住民としての問い掛けであったのだろう。三年前の五月ごろである。所長代理の末松さんにとっては、夏の花火の名前か、パチンコ台の名前なのか、皆目見当がつかなかったらしい。

 私は「町民全員参加の親ぼくの族」の名称の旨であることを伝えた。この時、幼いころ見聞きしていた言葉に新鮮さを感じ、仕事を通して上司と共に初めての参加と相なった。

 族は、さまざまな姿に彩られ、素晴らしいひとときを与えてくれる。人生そのものをもう一つの族ととらえることができよう。族にはいろいろな姿、形がある。異国への族、日本での族、過去への族、未来への族 1 族とは何かを求めて、あるいはまた何かを捨てながら、一方で浮世の世界から身を投げ出し、他方では新緑の生命の息吹を自らに誘い英気を養う、そんな人生を語る縮図とも言えるのではないか。旅とはそういうものだろう。

 はるかかなた、月への族に夢を追い続けた向井さんは、天資を仰ぎながら未知の 宇宙へ進む航海者たらんと地図のない人類歴史の族を続けている。旧ソ連の宇岳飛行士、ガガーリンは言った。″地球は青い”と。月光の下で向井さんの地球へのお帰りを待ち、そのお声をぜひ聞いてみたいと思う。

 「町民号」の族は、「行政と町武を結ぶ親ぼくと融和のかけ橋」の事業として今年二十回を迎えた。この時の族のキャッチフレーズは″夕陽の日本海と町政を語る族″であった。
恵まれた京月晴れのもと一路山形へ - みちのくにあって″奥の細道″よろしく最上川を横に酒田対内へ入った。山々は、北国の明るい空の下、陽光はまぶしく、新緑が美しい自然を彩っていた。最上川は芭蘇の句で想像していたよりはるかに広く緩やかな流れであった。車中は、味な族、舌の族、歌の族路であった。

 かの本間様の旧本邸、本間美術館に立ち寄り歴史を学ぶ。銭、銭とは言わないが、銭は無いよりあったほうがいいなあとだれかがつぶやいた。藤麻四代、伊達家もそうだが、建造物から伝わってくる何かは、言葉には言い表せない女北の心のふる里を感じさせる。

無名な風土が日本の風土を支えてきた時代によるものなのか。鶴岡においては、善宝寺で時の人″人面魚”を見学する。病は気からと言うが、思い込みは勘違いからと言っては失礼か。たどり着いた温海温泉に入り長族の疲れをいやした後、温潅町との交歓会がもたれた。両町の町長さんそろってのくす玉割りとなり、親善交流が進められた。山形のお洒と日本海の魚を味わいながらの宴である。さしずめ太平洋と日本海の見合いの様である。長テーブルを囲み談笑を交わしながら会食するのは、極上の旨(うま) みだ。数百名からの大広間は、一つ屋根の下、互いに理解し合い、柏手を思う気持ちで声を掛け合い心のふれあいの場となった。

 町民同士のふれあいは、町内近隣の方々から会社関係の方々へ、一つの試みによって出会いを求めながら町民交流へと発展していくのだろう。地方自治体を取り巻く環境変革の中、企業を取り込んだ住民同ナが自ら考え、行政の方々と連携、協力することが土台となるこの族は、帰郷して生活をはじめる若者たちの一つの出会いとなり、地方の町における将来への共通の無形の財産になると考えられる。

 今回、ご同行いただいた末松さんは、昨年、がんのため他界された。この楽しい旅の思い出を胸に、いつの日か娘と親子で ″町民号”乗車の思いを語り合いたいと思っている。

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