物語のあるまちづくり

 

 

物語のあるまちづくり

創作劇 「遥かなる ふる里わが町 〜 広野町」の公演

 

平成八年二月広野町中央体育館での物語のあるまちづくり広域交流大会において、゛素人劇団゛により広野町を描いた創作劇が披露された。

劇名は、「遥かなる ふる里わが町 〜 広野町」。

この取り組みは、福島県の物語のあるまちづくり事業によるもで、従来シンクタンクに任せることが多かった市町村長期計画等のシナリオを地域自ら(市町村職員、住民)の手で描けるようにすることが目的としている。

「物語のあるまちづくり」というネーミングは、地域づくりにはシナリオ・演ずる人(住民)・観る人(世界中の人)・舞台(地域の自然・環境)が必要であり「地域づくりは芝居と同じ」と言われていることによる。

優れた地域計画であるためには、地域の「ものがたり」をその基調に据えていなければならない。

地域振興の担い手として何よりも必要とされる資質は感性であり、計画の立案者、地域振興の中核的担い手は、地域のものがたりを人々に語り伝えられる「語り手」を求められる。

この地域の「ものがたり」は、水、川でも風、雪でも森林でも、土でも花でも何でも良い。地域の歴史や風土を構成し主題となってきた素材ないし要素と人々の暮らしの特異な関わりと交流の体験と記憶のことであり、地域の歴史は、この意味で「ものがたり」の集積である。

広野町の名所由来と町の成り立ちは、次の通りである。

明治二十二年四月一日、浜通り中南部の夕筋・折木・上浅見川・下浅見川・上北迫・下北迫の六ッ村が、地勢や歴史性に共通する面が多いと合併し、広野村を形成し、昭和十五年四月一日、町制施行を行い広野町となった。

広野村の名称は、合併当初、広野村とも呼ばれていた下北迫村に村役場が置かれていたことに起因する。

地名としての広野は、江戸時代初期、ここに相馬藩(奥州磐城平から相馬中村までの浜街道)

の宿駅「広野宿」が設けられ、「広野」の名称が使われていたことが記されている。

「浜街道」は、すでに八世紀初頭「道(陸)の奥」の国府多賀城に通じる官道「海道」として敷かれたことに始まる。

『続日本紀』の養老三年(719)の条には、「石城国初めて駅家一十処を置く」とあり、

その一処がこの地に置かれた可能性も考えられる土地柄である。

この広野町において、「遥かなる ふる里わが町 〜 広野町」は町内の小学生から60代までの演劇好きはもとより、町を元気づけようと声掛け合って集まったメンバー30名で構成される「広野町演劇づくり実行委員会」により取り組まれた。

平成三年五月、町役場に勤める渡辺 忠義さんがまとめ役となり演劇を町の方々と一緒に見ようとの思いから有志の集い「広野いきいき」が誕生したのがきっかけだった。

私は、そのメンバーの一人であり、取り組みにおいての苦しさの涙、達成感からの涙、互いにいろいろなことを学び、人生の縮図ともいえる演劇から貴重な出会いを得ることが出来た。

町内一円に劇をご案内し、東京都内の劇団現代座による劇「朝の風に吹かれて」の地方公演に、町の方々は大いに喜んだ。

その後、町商工会青年部による劇「もくれんの花」が公演されることになり、演劇を通していろなことを学び身近に感じられるようになった。

この演劇地方公演を経て、公演に関わった方々の声から、創作劇をやろうということになり「広野町演劇づくり実行委員会」が誕生したのだった。

私が放送作家の中條 達夫先生と出会ったのはこの時だった。

私は、中條 達夫先生には、創作劇の取り組みが終えた後も先生宅にお邪魔し、人生について先生のお言葉を伺い談笑し親好を重ねた。

「東北文学」の編集者である先生は、時に、「遠藤さん、僕の雑誌に小説を載せてみないかね」などと仰って頂き恐縮した。

茶の鼈甲フレームメガネの奥に見守る笑みのまなざしを、生涯忘れることはできない。

平成十年十月、中條先生は急逝された。

私の作った米を、横浜生まれの先生が「福島の米は美味しいね」と食べて頂いたのは嬉しく忘れられない。

劇小説を、町内に住む町振興公社に勤める幸森 千尋さんと私がおのおのにシナリオを書き記し、中条先生に共同脚本して頂いた。

脚本のタイトルは「遥かなる ふる里わが町 〜 広野町」。

劇は、炭坑のまち、火力発電所立地町として時代は変わってもエネルギー基地として発展する町、その美しい自然の中、心豊かに生活する人々の様子が描かれている。

東京から祖母の生まれ故郷の広野町へ来た青年医師が、出会った少女、取り巻く人々の明るい笑顔に魅せられていくストーリー。

方言を巧みに取り入れ、会場からは笑いと拍手が絶えなかった。

劇の中には、広野町にゆかりの動揺や唱歌が織り込まれ、ふるさと情緒あふれる作品である。

回を重ねるたび毎に熱を帯び、みんなで熱く演じ完成した「物語のある町づくり」を生涯忘れられない。

本稿に、広野町を舞台にしたフィクション劇の作品を載せたいと思う。

 

『遥かなる ふる里わが町 〜 広野町』 三幕五場

 

内 容

 

 

 

東京都内の劇団による地方公演に取り組む            

 

平成三年からの東京都内の劇団による地方公演から平成八年の町内における創作劇を経てからも、演劇の出会いは広域でしばしば頂戴することがあった。

隣町楢葉町の劇団ふるさときゃらばんの公演では、毎回お声かけを頂き観劇を楽しむこが出来た。

富岡町内で薬局店を経営される菊池 成一先生からは、桜の町にふさわしい劇を創作してみたいなどと弾む話を頂くこともあった。 

そんな折り、平成十年五月、富岡町での秋田県内の劇団わらび座による「男鹿の於仁丸」公演に協力依頼を頂いた。

富岡町内で英語塾、渡辺糀店を経営なさっている渡辺 克巳先生がまとめ役をされる富岡町演劇実行委員会からだった。

南双葉青年会議所への依頼であり、会員であった私は、理事長を務める原 幹雄さんと共に参加することになった。

富岡町の商工会青年部の方との楽しい取り組みは、様々な困難を越えて楽しい思い出となった。

劇団わらび座は、演劇活動を通して日本の伝統芸能を研究発展させ地域づくりに貢献し、国土庁長官賞を受けられている創立50年の劇団であった。

 

この広域に亘る劇を通じての触れ合いが、広野町での劇団ふるさときゃらばんカントリーミュージカル「噂のファミリー1億円の花婿」の公演において、ひとつのネットワークとなり地域文化の一端と成り得たのではないかと考える。

楢葉町ふるさときゃらばんを見る会、富岡町わらびざ座実行委員会の方々のご協力により、平成十三年五月、広野町体育館において劇団ふるさときゃらばんカントリーミュージカル「噂のファミリー1億円の花婿」の公演を取り組むことになった。

私がまとめ役となり、齋藤 光司さん根本 厚希さんらが中心の「広野町演劇を楽しむ集い」によって、広野町内から広域に亘りたくさんの方々にご協力を頂いて成功することが出来た。 

地方で、自分の町で劇を観ようということは、どんな意味があるのだろうか。

様々な考え方があるが、まちづくりの原点ともなる、創作劇と同様、人と人が触れ合い、取り組みによるひと時の幸せを共にしようとする時空間に大切な意味が内包されているのではないだろうか。

リスクもある。

しかし、行動することによって、そこに生きる人と人とが、信頼し、協力し合う。

地域が生活文化を求める動きである。

劇団ふるさとキャラバンは、2001年福島県主催「うつくしま未来博」へ参加し、今日に至るまで、全国242万人の方が観劇されているすばらしい劇団である。

未来博に先駆けて、双葉郡では広野町での公演も、自分の町で、演劇を通じて町の方たちと一緒に、生きる喜び・すばらしさを分かち合いたいと願う青年、楢葉町では5回も公演されているが、広野町でも1度見てみたいとの声から、公演取り組みを始めた。

これも10年前の「風に吹かれて」さらに「もくれんの花」創作劇「はるかなる・ふる里・広野」をこの体育館で公演・完成することができました先輩方の熱い思いを、明日に伝える一つの風となればとの思いからである。

「風に吹かれて」は、みんなの集い「心いきいき」によるものであった。

触れ合いは、演劇からいろいろな新しい世界へと広まった。

平成五年九月は、オーストリアの中学生、高校生と友情の輪を広げようと国際コンサートとホームスティーを開催した。

コンサートからは、国籍を越え言葉や文化の違いを音楽で表現された。

ホームスティーでは、一つ屋根の下で何時でも心を開く素直さを自覚でき、相手の気持ちを思い、互いに理解し合って心のふれあいが芽生えた。

さらに輪は広がり、ふくしま国際交流ボランテイァとして、カナダ・ブリティッシュ コロンビィア州の小学校の先生にホームスティーして頂き、子供たちと楽しい交流が生まれた。 

公演に向けた取り組みの苦労は、お声かけによってチケツトをお買い上げ頂くことだった。

自己満足ではなく、地域文化を創ろうとするものである。

思いを込めた「愛してますか ふる里、広野」の趣旨により、町内の方々のご理解を頂くことができた。

小学生の子供たちによる看板制作、軽トラックの宣伝カー制作、東京電力の若い方たちの連携プレーによる広報宣伝活動、仮設舞台の設置と、苦しくも楽しい活動だった。

私は、多くの方々のご好意を、取り組みの日々感じつつ、会場で分かち会えたの言葉で表しきれない喜びだった。

今回の「噂のファミリー1億円の花婿」は、この地域の発電所立地される以前の姿を思い起こさせる、過疎化が進み出稼ぎ、消防団の人手も足らないような静かな町を舞台としていた。

酪農家に嫁いだ花婿をめぐっての親と子の、ハラハラドキドキの笑いと涙の、元気が出る楽しいミュージカルだった。

ストーリーの中では、広野郵便局長さんはじめ、現役の消防団員の方々が出演された。

ユニークなアドリブで、会場は大いに笑いを誘い沸いた。

このシリーズは、人口千人足らずの小さな村から大都会まで全国二百数十の自治体を巡演して約三年、年内で打ち上げとなる。

これに観客総数三十三万人が笑い、泣いた。

日本の風土、暮らしに根ざしたミュージカルは、狂牛病騒動など酪農を巡る環境が一層深刻化したが、舞台はへこたれてはいない。

時代の波を突き抜け、不景気を突き抜けて、生きる勇気を与え、明るい歓声と共に三十三万人を励ましたことだろう。

親とは、木の上に立って見ると書くが、見るという五感から見て聞いて感じて行動をする。

親と子が共に行動して互いに気づき、足らないところは素直に反省し、みんなで協力し合う。

そんなことを、見て学べたのではないかと思う。

混沌とした時代だからこそ、不透明な時代だからこそ、元気をだして、情報の情と人間の情とが1対化し、様々の情を発見し、友情・愛情・情熱・義理人情から大きな感動を生み出す、キラリ輝く一夜の劇を、広域の方々と共に楽しむことが出来た。